富士北麓の青木ヶ原樹海や梨ヶ原(北富士演習場)、山中湖周辺で植物や動物・昆虫など、自然の営みを観察してテレビカメラに収め、NHKや民放からこれらの映像を紹介しているテレビ映像カメラマンが、伊藤浩美さんです。
伊藤さん
伊藤さんは映画関係の専門学校を終えて、東映の文化映画制作に関わったことが、映像関係の仕事を続けるきっかけとなりました。その後TBSで、アフリカ大陸や太平洋などの動物を扱った「わくわく動物ランド」や「奇想天外」という人気テレビ番組があり、この番組で動物や昆虫などの映像カメラマンとして、本格的な映像制作を担当するようになりました。
NHK教育テレビの子供向け番組で、動物・植物の生態などの映像作成を担当したり、各地の科学博物館などの昆虫や植物の展示映像を作成することも行いました。この間サイエンスに関する仕事が多かったため、専門家を訪ねて動物・植物に関する勉強をして知識を広めることにも努めたそうです。
伊藤さんは15年前に山中湖生活を始め、現在地には9年前に定住されたそうです。フリーの映像カメラマンになったのもこのころで、新天地での最初の仕事はファナック社の依頼で、退職者に送る記念品として、富士山の映像ビデオを作ることでした。このあとNHKや民放から富士北麓での撮影依頼が多くなり、NHKでは「生きもの地球紀行」や「地球大不思議」、「プレミアム10」などの番組映像を担当し、民放の山梨放送では、視聴者に好評の「一億人の富士山」の撮影を担当しました。「一億人の富士山」は2001年から3年間続き、富士山の四季を通じての映像を中心に、その周辺の自然の営みも扱ったドキュメンタリーものでした。この番組に「富士山麓日記」という人気コーナーがあり、このコーナーだけを独立させて毎週放映するようになって、今日まで5年以上続いています。この番組の企画・制作は伊藤さんが当初から担当されてきました。
伊藤さん
伊藤さんの人気映像の一つが、コマ撮りと言われる撮影映像で、花の開花や木の芽の成長など時間を短縮して撮影し、自然の営みや現象を動画のような映像で見ることができるものです。
富士北麓の自然の中で昆虫や小動物、草花などをビデオに撮ってきましたが、なかでも青木ヶ原樹海は長い自然活動によって造られた貴重なここだけの自然があり、この美しい樹海を撮るときは自然の偉大な営みを感じながら撮影しているそうです。また山中湖周辺や庭先などの身近なところで、自然を注意深く観察して、草花の成長やキノコそして霜柱の成長など自然現象の細かな様子なども撮影されています。また全国各地で自然や動物・植物などを撮影してきましたが、とりわけ北海道の利尻島や礼文島、鹿児島県屋久島の自然は素晴らしいく、思い出に残る撮影ができたそうです。
伊藤さんはカメラマンをはなれて、「山麓探偵団」の団長として毎月参加者を募って、近くの森の中を動物や植物の説明をしながら散策する催しを行っており、ときには青木ヶ原樹海あたりまで散策することもあるそうです。
伊藤さん
今後は北海道など各地に出かけ、自然の中のさまざまな動物や植物を映像に収めたり、富士北麓にまだまだ多くある、あまり知られていない身近な自然の生態や現象を見つけて、映像に撮り続けたいと話されておりました。
2009年10月7日水曜日
2009年9月26日土曜日
最近注目の細密画を極め、指導されている木村修さん・奈保子さん
木村さんのアトリエに入ると、壁にかかった海や森の大きな絵が目に映ります、写真と見間違えるほどの繊細なタッチで描かれ、一枚の絵を仕上げるのに1~2ヵ月かかるそうで、これが細密画なのです。
木村さんご夫妻
木村ご夫妻が山中湖に定住されたのは21年前で、それまでは立川と山中湖の別荘とを行き来していたそうです。
修さんは絵の専門学校を卒業されたあと、出版関係のイラストレーターの仕事をしていましたが、1979年フリーになり1980年代に、学研社で細密画の自然の絵本「すずむし」を制作し、以降同シリーズの作画やその他の出版社の科学絵本に多数発表されました。1900年代の作品としては、学研社の大パノラマ図鑑「きょうりゅう」「つちのなかみずのなか」「ちきゅうのどうぶつたち」「にっぽんしぜんちずふるさとちず」などがあります。このシリーズはイタリア ボローニャ国際絵本展、ドイツのフランクフルト国際図書展に出品され、フランス、イタリア、韓国、タイで翻訳出版されています。
近年はアメリカ ウィスコンシン州レイヨウキーウッドソン美術館主催の世界公募展「バーズインアート展」で2007年、2008年と2年連続入選されました。鳥も動物も人間と同じだとの目線で物を見、作品と向き合っておられる修さんにとって、この入選は表現者として細密画を描くことの喜びがより深められ、広がったのではないかと思われます。
木村奈保子さんの植物画教室
修さんはこれまで、デザイン専門学校や動物・植物専門学校などで絵の講師をされ、現在は御殿場、沼津、三島などで教室を開いて細密画を指導されています。山梨県内では細密画に対する反応が薄いとのことです。
奈保子さは、修さんのアシスタントとして仕事を手助けすると共に、Tシャツやタペストリーなどの布素材や皮などに作画し、エスニックショップの注文に応じたりしておりました。現在はアトリエで細密技法の植物画やアート体験教室を開き、山中湖情報創造館で「やさしい植物画」を教えています。創作することの豊かさや、見えていなかったことに気づき、同じ感動を共有しながら個々の自由な表現を認め、いつも一人一人に心を寄せて活動されています。
木村さん
アトリエでは、ご夫妻の細密画の作品のほか、バードカービングや手つくりのテーブルやイスなど、お二人の世界を楽しむことができます。
将来の夢について、修さんは、「細密画の評価の高いアメリカで創作活動をしたい」とおっしゃり、奈保子さんは、「ターシャ・テューダのような自然の中で生きたい」とお答えくださいました。お話は、「ガラリエ・オム」の庭に面した作品の絵が壁一面に飾られた明るいアトリエでお伺いしました。
木村さんご夫妻
木村ご夫妻が山中湖に定住されたのは21年前で、それまでは立川と山中湖の別荘とを行き来していたそうです。
修さんは絵の専門学校を卒業されたあと、出版関係のイラストレーターの仕事をしていましたが、1979年フリーになり1980年代に、学研社で細密画の自然の絵本「すずむし」を制作し、以降同シリーズの作画やその他の出版社の科学絵本に多数発表されました。1900年代の作品としては、学研社の大パノラマ図鑑「きょうりゅう」「つちのなかみずのなか」「ちきゅうのどうぶつたち」「にっぽんしぜんちずふるさとちず」などがあります。このシリーズはイタリア ボローニャ国際絵本展、ドイツのフランクフルト国際図書展に出品され、フランス、イタリア、韓国、タイで翻訳出版されています。
近年はアメリカ ウィスコンシン州レイヨウキーウッドソン美術館主催の世界公募展「バーズインアート展」で2007年、2008年と2年連続入選されました。鳥も動物も人間と同じだとの目線で物を見、作品と向き合っておられる修さんにとって、この入選は表現者として細密画を描くことの喜びがより深められ、広がったのではないかと思われます。
木村奈保子さんの植物画教室
修さんはこれまで、デザイン専門学校や動物・植物専門学校などで絵の講師をされ、現在は御殿場、沼津、三島などで教室を開いて細密画を指導されています。山梨県内では細密画に対する反応が薄いとのことです。
奈保子さは、修さんのアシスタントとして仕事を手助けすると共に、Tシャツやタペストリーなどの布素材や皮などに作画し、エスニックショップの注文に応じたりしておりました。現在はアトリエで細密技法の植物画やアート体験教室を開き、山中湖情報創造館で「やさしい植物画」を教えています。創作することの豊かさや、見えていなかったことに気づき、同じ感動を共有しながら個々の自由な表現を認め、いつも一人一人に心を寄せて活動されています。
木村さん
アトリエでは、ご夫妻の細密画の作品のほか、バードカービングや手つくりのテーブルやイスなど、お二人の世界を楽しむことができます。
将来の夢について、修さんは、「細密画の評価の高いアメリカで創作活動をしたい」とおっしゃり、奈保子さんは、「ターシャ・テューダのような自然の中で生きたい」とお答えくださいました。お話は、「ガラリエ・オム」の庭に面した作品の絵が壁一面に飾られた明るいアトリエでお伺いしました。
2009年9月20日日曜日
写真を撮り続けて45年 冨塚晴夫さん・冨塚裕子さん
冨塚さんは、山中湖村にて12年前に写真ギャラリーを開設し、プロカメラマンとして活躍中で、写真ツアー・写真教室などに携わっておられ、特に富士山の写真を中心にさらに広告写真も撮り続けておられます。
富塚さん邸
そもそも、冨塚さんが写真を撮りだしたのは、高校生の頃、飛行機の離発着に興味を抱き、父親のカメラを使ったのが最初だそうです。その後、日本大学の芸術学部写真学科にて学び、先輩である篠山紀信さん等にあこがれ、広告写真の撮影を目指すようになられました。大学卒業後は、アメリカで勉強したいと単身渡米し、ハリウッドで約17年間活躍されました。
当初は、設計士に依頼された建築中の写真が多かったのですが、その後広告写真・人物写真等を撮るようになりました。広告写真では、オーソン・ウェールズを起用した国産ウイスキーの広告は特に有名であり、今年亡くなられたマイケル・ジャクソン他有名な俳優・スポーツ選手等の人物写真も多く手がけられました。
やがて子供の誕生を機に将来の教育のことを考え、冨塚さん自身も日本で一花咲かせたいと思っていたので、1986年に帰国されました。帰国後、学生時代から写真の勉強によくきており、大都会に近く富士山と大自然のある山中湖に住居を構えて23年となりました。当初、富士山にあまり興味を感じられなかったようで、雑誌の広告写真や別荘ブームにのりモデルルームの写真を撮り続けておられました。でも、毎日接している雄大な変化のある富士山に大いに魅力を感じはじめ、今や富士山の撮影が主な仕事となりました。
冨塚さんご夫妻
奥さんである裕子さんも写真家として活躍中で、ツアーでの指導・写真展(個展)等をはじめ写真ギャラリーでの接客もされています。富士山の撮影はもちろんのこと、人物・自然の写真等を撮り続けておられます。力を合わせて活動されている冨塚ご夫妻ですが、別々の行動にて写真撮影をされることもある様です。
写真ギャラリーでは、ご夫妻の富士山並びに自然風景の写真が多数展示されており、想像できない・びっくりするような富士山が十分堪能できます。最近では、外国人の方が多数来館されるようになりました。たまたまハンガリーの映画監督(フレンコーシャ氏)が写真ギャラリーに来館されて富士山の写真に感動し、冨塚さんのハンガリーでの写真展へと発展しました。葛飾北斎・安藤広重の富嶽36景の浮世絵とともに、冨塚さんの現代の富士山36景の写真を一堂に展示した「FUJIYAMA」展がハンガリー国立美術館にて開催されました。
冨塚さん
また、冨塚さんは山中湖村のPRにも積極的に取り組んでおられます。山中湖からの富士山は絶好の撮影のポジションであり、特にダイヤモンド富士の撮影には最適の場所であるとのアピ-ルもされています。朝日新聞に掲載されたダイヤモンド富士の写真も功を奏し、多くのカメラマンが集結する様になり、山中湖のブームを呼ぶようになりました。現在では、2月に観光協会で開催されるダイヤモンド富士ウィークに、さらに多勢の人が集まるようになりました。今や、山中湖フォトグランプリも3回目を迎えます。
ここ山中湖では赤富士・紅富士・ダイヤモンド富士等ドラマチックな富士山撮影ができ、山中湖のすばらしさを写真を通して広く伝えていくのが冨塚さんの思いです。
裕子さんは、今後自然と子供などの人物写真も撮りたいとおっしゃっています。
富塚さん邸
そもそも、冨塚さんが写真を撮りだしたのは、高校生の頃、飛行機の離発着に興味を抱き、父親のカメラを使ったのが最初だそうです。その後、日本大学の芸術学部写真学科にて学び、先輩である篠山紀信さん等にあこがれ、広告写真の撮影を目指すようになられました。大学卒業後は、アメリカで勉強したいと単身渡米し、ハリウッドで約17年間活躍されました。
当初は、設計士に依頼された建築中の写真が多かったのですが、その後広告写真・人物写真等を撮るようになりました。広告写真では、オーソン・ウェールズを起用した国産ウイスキーの広告は特に有名であり、今年亡くなられたマイケル・ジャクソン他有名な俳優・スポーツ選手等の人物写真も多く手がけられました。
やがて子供の誕生を機に将来の教育のことを考え、冨塚さん自身も日本で一花咲かせたいと思っていたので、1986年に帰国されました。帰国後、学生時代から写真の勉強によくきており、大都会に近く富士山と大自然のある山中湖に住居を構えて23年となりました。当初、富士山にあまり興味を感じられなかったようで、雑誌の広告写真や別荘ブームにのりモデルルームの写真を撮り続けておられました。でも、毎日接している雄大な変化のある富士山に大いに魅力を感じはじめ、今や富士山の撮影が主な仕事となりました。
冨塚さんご夫妻
奥さんである裕子さんも写真家として活躍中で、ツアーでの指導・写真展(個展)等をはじめ写真ギャラリーでの接客もされています。富士山の撮影はもちろんのこと、人物・自然の写真等を撮り続けておられます。力を合わせて活動されている冨塚ご夫妻ですが、別々の行動にて写真撮影をされることもある様です。
写真ギャラリーでは、ご夫妻の富士山並びに自然風景の写真が多数展示されており、想像できない・びっくりするような富士山が十分堪能できます。最近では、外国人の方が多数来館されるようになりました。たまたまハンガリーの映画監督(フレンコーシャ氏)が写真ギャラリーに来館されて富士山の写真に感動し、冨塚さんのハンガリーでの写真展へと発展しました。葛飾北斎・安藤広重の富嶽36景の浮世絵とともに、冨塚さんの現代の富士山36景の写真を一堂に展示した「FUJIYAMA」展がハンガリー国立美術館にて開催されました。
冨塚さん
また、冨塚さんは山中湖村のPRにも積極的に取り組んでおられます。山中湖からの富士山は絶好の撮影のポジションであり、特にダイヤモンド富士の撮影には最適の場所であるとのアピ-ルもされています。朝日新聞に掲載されたダイヤモンド富士の写真も功を奏し、多くのカメラマンが集結する様になり、山中湖のブームを呼ぶようになりました。現在では、2月に観光協会で開催されるダイヤモンド富士ウィークに、さらに多勢の人が集まるようになりました。今や、山中湖フォトグランプリも3回目を迎えます。
ここ山中湖では赤富士・紅富士・ダイヤモンド富士等ドラマチックな富士山撮影ができ、山中湖のすばらしさを写真を通して広く伝えていくのが冨塚さんの思いです。
裕子さんは、今後自然と子供などの人物写真も撮りたいとおっしゃっています。
2009年5月5日火曜日
山中湖に私営のカーリング場を開設された 小林宏さん
カーリングの発祥地は1500年代にイギリスのスコットランドであるとされ、現在ではカナダで盛んに行われるようになっています。
カーリング場
日本では1970年代から一部の地域で行われていましたが、カーリングが日本で広く知られるようになったのは、女子の「チーム青森」が活躍したトリノオリンピックからのようです。カーリングは本来わいわいと仲間同士がコミュニケーションしながら楽しくプレーすることです、また一面では不正を嫌い正義を尽くし正々堂々と戦いを挑み、相手を尊重するスポーツでもあります。
小林さんは、長野県の高校時代にスピードスケートの高校選手権や国体などで上位入賞と活躍しましたが、1979年にカーリングに出会いカーリングに取りつかれ、その後日本のカーリングの第一人者となりました。長野オリンピックでは競技委員長を勤め、アルベールビルオリンピック(公開競技)では日本代表監督を勤めました。トリノオリンピックではNHKのカーリング放送の解説を勤め、「チーム青森」の活躍もあって日本中にカーリング熱を一気に高めました。
小林さんは、2005年11月に山中湖村山中地区に「山中湖メープルカーリングクラブ(YMCC)」という日本初の民営のカーリング場を造りました。日本のカーリングを世界レベルにするためには、クラブ組織が必要という自説を実現するために、このカーリング場を造ってしまったのです。山中湖を選んだ理由は、山中湖には古くからスケートが盛んで、昭和12年に第1回カーリング全日本選手権大会が行われた、標高1000m程の冷涼地である、首都圏からおよそ100kmに位置している、富士山を含めて素晴らしい自然があることなどです。
カーリング場
この山中湖メープルカーリングクラブのカーリング場は長さ44.5m、幅4.75mのコースを2面持ち、年間を通じて使用できる屋内の施設で、運営は会員制になっていて、一般、ジュニア、シニアなどに区分されています。現在約120名の会員が首都圏や近県などから参加されていますが、地元の参加者はまだ少ないようです。誰でも参加できる体験コースが用意されていて、気軽にカーリングを経験できるようになっています。現在金・土・日の週3日間の営業で年間を通して利用できます。
小林さんの指導方針は、氷上で転倒などの怪我をさせないようにすることを第一とし、カーリングを仲間同士で楽しく、遊び心を持って体得してもらうことです。カーリングはキャリアごとに技能レベルがはっきり違うので、各々のレベルに沿った練習をさせること。またカーリングはミスを想定したスポーツであり、ミスを気にせずに前向きに楽しくプレーすることを心がけるようにしています。
カーリングに対する小林さんの思いは、現在の会員は他県からの人が多いので、これからは地元の子
小林さん
供、若い人、シニアの人たちにカーリング場に気軽に集って楽しさを知ってもらい、仲間同士で語り合い癒しの場を広げていってほしい。地元の山梨県や山中湖村にカーリングを普及させたいと思っているけど、地元でのカーリングに対する関心はまだ薄いようです。これからは子供たちや若い人たちが、カーリングを好きになり、技術のレベルアップを図って、その結果そのなかからオリンピックで活躍できるよな選手が、育つようにしたいとのことです。今後もカーリングの普及をライフワークにしていきたいと、カーリングについての熱い思いをいつまでも語っていらっしゃいました。
カーリング場
日本では1970年代から一部の地域で行われていましたが、カーリングが日本で広く知られるようになったのは、女子の「チーム青森」が活躍したトリノオリンピックからのようです。カーリングは本来わいわいと仲間同士がコミュニケーションしながら楽しくプレーすることです、また一面では不正を嫌い正義を尽くし正々堂々と戦いを挑み、相手を尊重するスポーツでもあります。
小林さんは、長野県の高校時代にスピードスケートの高校選手権や国体などで上位入賞と活躍しましたが、1979年にカーリングに出会いカーリングに取りつかれ、その後日本のカーリングの第一人者となりました。長野オリンピックでは競技委員長を勤め、アルベールビルオリンピック(公開競技)では日本代表監督を勤めました。トリノオリンピックではNHKのカーリング放送の解説を勤め、「チーム青森」の活躍もあって日本中にカーリング熱を一気に高めました。
小林さんは、2005年11月に山中湖村山中地区に「山中湖メープルカーリングクラブ(YMCC)」という日本初の民営のカーリング場を造りました。日本のカーリングを世界レベルにするためには、クラブ組織が必要という自説を実現するために、このカーリング場を造ってしまったのです。山中湖を選んだ理由は、山中湖には古くからスケートが盛んで、昭和12年に第1回カーリング全日本選手権大会が行われた、標高1000m程の冷涼地である、首都圏からおよそ100kmに位置している、富士山を含めて素晴らしい自然があることなどです。
カーリング場
この山中湖メープルカーリングクラブのカーリング場は長さ44.5m、幅4.75mのコースを2面持ち、年間を通じて使用できる屋内の施設で、運営は会員制になっていて、一般、ジュニア、シニアなどに区分されています。現在約120名の会員が首都圏や近県などから参加されていますが、地元の参加者はまだ少ないようです。誰でも参加できる体験コースが用意されていて、気軽にカーリングを経験できるようになっています。現在金・土・日の週3日間の営業で年間を通して利用できます。
小林さんの指導方針は、氷上で転倒などの怪我をさせないようにすることを第一とし、カーリングを仲間同士で楽しく、遊び心を持って体得してもらうことです。カーリングはキャリアごとに技能レベルがはっきり違うので、各々のレベルに沿った練習をさせること。またカーリングはミスを想定したスポーツであり、ミスを気にせずに前向きに楽しくプレーすることを心がけるようにしています。
カーリングに対する小林さんの思いは、現在の会員は他県からの人が多いので、これからは地元の子
小林さん
供、若い人、シニアの人たちにカーリング場に気軽に集って楽しさを知ってもらい、仲間同士で語り合い癒しの場を広げていってほしい。地元の山梨県や山中湖村にカーリングを普及させたいと思っているけど、地元でのカーリングに対する関心はまだ薄いようです。これからは子供たちや若い人たちが、カーリングを好きになり、技術のレベルアップを図って、その結果そのなかからオリンピックで活躍できるよな選手が、育つようにしたいとのことです。今後もカーリングの普及をライフワークにしていきたいと、カーリングについての熱い思いをいつまでも語っていらっしゃいました。
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