加古坂神社の由来
承久3年(1221)後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対し、政権を朝廷に返還するよう努めたものの、北条義時と対立し兵を挙げることになり、幕府側に戦いの利があり京都を占拠し、上皇は破れました(承久の乱)。
上皇の執権をされていた藤原光親卿は、責任を負い引き渡され、武田信光にあずけられ、同年7月12日籠坂山頂にて斬首の刑となり、古来地方民の崇敬篤くこの祠を建て命を祭られました。
旭日丘区民祭
当初太良宮(だいりょうみや)と称されていましたが、後に加古坂神社と改称されました。
明治42年9月社殿を再建し、昭和43年11月に現社殿が再建されました。
旭日丘区民祭
現在の加古坂神社例大祭・旭日丘区民祭
平成18年まで加古坂神社例大祭と旭日丘区民祭は一緒に行われてきましたが、平成19年から旭日丘区民祭は6月に、加古坂神社例大祭は9月に行われるようになりました。
旭日丘区民祭は加古坂神社から子供神輿をくり出して地区内を回り、夕方から屋台による飲食や舞台での余興などで、区民の親睦がはかられています。
加古坂神社例大祭は氏子が加古坂神社にて、神のご加護や惠に対して感謝報恩の祈願が行われています。
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